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旭川地方裁判所 昭和61年(ワ)445号 判決

原告

成田澄子

右訴訟代理人弁護士

高橋岩男

被告

全国労働者共済生活協同組合連合会

右代表者理事

藤原久

右訴訟代理人弁護士

遠藤誠

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外成田道男(以下「訴外道男」という)は、農林水産省(大雪営林署勤務)職員であり、全林野労働組合大雪分会組合員である。

被告は、共済契約者から共済掛金の支払いを受け、被共済者につき、共済期間中に生じた死亡及び重度障害を共済事故とし、当該共済事故の発生により共済金を支払う事業(この事業に係る契約を、以下「基本契約」という)を行うと共に、これに附帯する事業として、基本契約に係る被共済者につき生じた不慮の事故、法定伝染病及び指定伝染病(以下「不慮の事故等」という)を直接の原因とする死亡及び身体障害並びに不慮の事故を直接の原因とする入院を共済金を支払う事業(この事業に係る契約の部分を、以下「傷害特約」という)を行うものである。

訴外道男は、被告との間に、自己を被共済者として、基本契約に係る共済金を金一〇〇〇万円、傷害特約に係る共済金を金一〇〇〇万円とする、共済契約を締結した。右共済契約の内容については、被告の団体定期生命共済事業規約(以下「規約」という)により規定されている。

2  訴外道男は、昭和六〇年六月二九日午後九時ころ、自宅浴室の浴槽内において火傷により死亡した。右浴槽は、いわゆる循環式風呂釜であつて、同人は浴槽内に入浴したまま、浴槽内の湯の温度を上げるべく加熱していたところ(いわゆる追い焚き)、適温を過ぎても加熱が続けられたため、浴槽内の湯が沸騰して熱湯となり、ために、同人は全身火傷により死亡したものである。

3  規約四一条は、不慮の事故等の範囲につき別紙のとおり定めると共に、被共済者が不慮の事故等を直接の原因として死亡した場合には、被告は、災害死亡共済金として傷害特約共済金額に相当する金額を支払う旨を定めているところ、訴外道男の死亡は、右規約に定める不慮の事故等を直接の原因とする死亡に該当する。

4  規約によれば、共済契約者死亡の場合における基本契約及び傷害特約に係る共済金の受取人は、共済契約者の配偶者であるところ、原告は、訴外道男の妻である。

5  しかるに、被告は、原告に対し、基本契約に係る共済金一〇〇〇万円を支払つたのみで、傷害特約に係る共済金(災害死亡共済金)一〇〇〇万円を支払わない。よつて、原告は、被告に対し、災害死亡共済金一〇〇〇万円及びこれに対する右金員を支払うべき期日の後である昭和六〇年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因第1項ないし第4項の事実は、すべて認める。

三  抗弁

1  規約四八条は、傷害特約について、免責事由として、被共済者の脳疾患、疾病(法定伝染病、指定伝染病を除く)を直接の原因として共済事故が発生したときには、共済金を支払わない旨定めている。

2  訴外道男は、自宅浴槽において入浴中、突然くも膜下出血を生じて身体の自由を失つたため、浴槽内の湯の温度が上昇した際に、風呂釜の加熱スイッチを切りあるいは浴槽外に出るなどの、適切な対応行為をとることができず、浴槽内の湯が沸騰するに至つて、熱傷により死亡したものである。

3  訴外道男の死亡は、同人のくも膜下出血を直接の原因として発生した事故に基づくものであつて、規約四八条の定める「被共済者の脳疾患、疾病を直接の原因として」発生した共済事故に該当するものであるから、被告は、災害死亡共済金の支払い義務を負わない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項の事実は、認める。

2  抗弁第2項の事実は否認し、同第3項は争う。

3  訴外道男についての死体検案書には、死亡の直接原因として「熱傷」、右直接原因の原因として「くも膜下出血疑い」との記載がなされているが、これをもつて、同人が死亡前に浴槽内においてくも膜下出血を生じていたと認定することはできない。訴外道男については、「くも膜下出血の疑い」があるに止まるものであつて、規約四八条に該当するものではない。

4  仮に、訴外道男が死亡前に浴槽内においてくも膜下出血を生じていたとしても、同人の死亡は、入浴中に浴槽内の湯が過度の加熱により上昇して沸騰するに至り、このために全身に熱傷を受けて死亡するに至つたというものであつて、くも膜下出血を直接の原因として共済事故が発生したものということはできない。したがつて、規約四八条の免責事由に該当するものではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因第1項ないし第4項の事実は、当事者間に争いがない。

二次に、被告主張の抗弁につき判断するに、抗弁第1項の事実(規約四八条の存在及びその内容)については、当事者間に争いがない。

そこで、訴外道男の死亡が、規約四八条のいう「被共済者の脳疾患、疾病を直接の原因として共済事故が発生したとき」に該当するかどうかを判断するに、〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  昭和六〇年六月二九日午後九時ころ、自宅浴室の浴槽内において訴外道男が入浴中であることを家人が確認のうえ外出し、翌六月三〇日午前零時ころ家人が帰宅すると、右浴槽内の湯は沸騰しており、訴外道男は、その中で全身水疱状態の火傷を負つて死亡していた。

2  家人による訴外道男の死亡の発見後連絡を受けて同人の検死を行つた医師長南典秀が同年六月三〇日に作成した死体検案書には、死亡の直接の原因として「熱傷」、右直接原因の原因として「くも膜下出血の疑い」と記載されている。

3  右医師長南典秀は、検死の結果、訴外道男は浴槽内の水温が四〇度前後の時にくも膜下出血を起こして身体の自由を失い、その後も浴槽内の湯が加熱されたままで温度の上昇を続けたことからくも膜下出血後三〇分ないし一時間して浴槽内の熱湯による熱傷により死亡したものと推認している。その理由としては、訴外道男の死体に熱傷生体反応がある(全身に水疱状態の火傷を生じていた)ことからすれば同人は熱湯を受けた時点において生存していたものと判断されるから、浴槽内の湯による窒息死(溺死)は考えられず、また、入浴中に突然身体の自由を失うに至る原因としては、一般的には心筋梗塞、くも膜下出血、脳内出血などが考えられるが本件においては脊髄穿刺による訴外道男の髄液採取の結果髄液が血性であつたことからすれば心筋梗塞の可能性はなく、また、周囲の状況からみて脳内出血よりもむしろくも膜下出血が疑われるとして、右のとおり判断したものである。解剖に付さずに髄液採取の結果等の所見により判断したことを考慮して、同医師は、死体検案書には「くも膜下出血の疑い」と記載するにとどめたが、同医師としては、髄液が血性であつたこと及びその他の状況から判断して、訴外道男がくも膜下出血を起こしたことは確信に近い程度に推定できるものと判断している。

4  くも膜下出血については、一般的に、その症状としては、何の前駆症状もなく突然激しい頭痛に襲われ、まもなく意識喪失ないし昏睡におちいることがあること、また髄液は新鮮なときは血性であると説明されている。また、一般に、意識障害の患者について、髄液検査の結果それが血性であるときは、脳出血又はくも膜下出血を疑うべきものと説かれている。

5  訴外道男の浴槽内における死亡が発見された状況下においては、同人が身体の自由を失つた原因として、浴室内の天井の一部が剥がれて頭上に落下し、あるいは他の落下物が同人の頭部を強打したなどといつた、外因性の原因を疑わせる事情は、認められなかつた。

そこで右認定の各事実を前提として、まず、訴外道男が浴槽内において身体の自由を失つた原因について判断するに、右各事実、なかんずく同人の死亡の際における状況及び医師長南典秀の検死の際における所見等に照らせば、訴外道男の身体の自由喪失の原因としては、くも膜下出血以外の事由は考えられないものであつて、被告主張のとおり、訴外道男は入浴中に突然くも膜下出血を起こした結果、身体の自由を喪失したものと認定せざるを得ない。

次に、加熱(追い焚き)中の浴槽内において、くも膜下出血により身体の自由を失つた結果、浴槽内の湯の温度の上昇により熱傷死したという本件の事案が、規約四八条にいう「被共済者の脳疾患、疾病を直接の原因として共済事故が発生したとき」に該当するかどうかについて判断するに、まず、くも膜下出血が「脳疾患、疾病」に該当することはいうまでもないことである。さらに、浴槽内の湯の温度の上昇による熱傷死という本件事案が、くも膜下出血を「直接の原因として」生じたものであるかどうかが問題となる。浴槽内に入浴したまま風呂釜を加熱(追い焚き)して湯の温度を上昇させるという行為自体については、浴槽内の湯の温度が加熱により徐徐に上昇するものであることに照らせば、加熱スイッチを切りあるいは浴槽外に出る行動の自由が存する限り、その行為自体は危険な行為ではなく、一般社会生活において通常行われる行為といわねばならない。そして、入浴中にくも膜下出血により身体の自由を喪失した結果、加熱が続けられ浴槽内の湯の温度が上昇し沸騰するに至ることは、身体の自由喪失前における周囲の環境に基づく因果関係の進行にすぎないものであり、これをもつてくも膜下出血後に生じた異常な事態ということはできないから、本件事故はくも膜下出血による身体の自由喪失に基因するものと認めざるを得ない。したがつて訴外道男の死亡は、くも膜下出血を直接の原因として生じた事故によるものといわざるを得ないから、規約第四八条に定める「被共済者の脳疾患、疾病を直接の原因として共済事故が生じたとき」に該当するものと解するのが、相当である。

右によれば、被告主張の抗弁は理由がある。

三以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官三村量一)

別紙〈省略〉

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